「自分なんて」と思いながらも、同時に「このままじゃ終わりたくない」という感覚が消えない。キャリアも経験も積み重ねてきたのに、自分の価値を低く見積もって、なぜか一歩引いてしまう。
そんな感覚、心当たりはありませんか。
今回のCoach JOY Secret Bonus Episodeでは、元陸上自衛隊幹部(三等陸佐)として20年間の現役生活を送り、国連PKO・東日本大震災を含む4回の災害派遣、そして日本人女性初の米陸軍工兵学校留学という異例のキャリアを歩んだ有薗光代さんをゲストにお迎えしました。

2025年1月に出版された著書『セルフスターター——自分で自分を動かすスキル、米陸軍工兵学校で学んだ仕事と人生で大切なこと』(日本実業出版社)にも通じる「価値の再定義」と「指揮棒を手放さないこと」の大切さを、ご自身のリアルな体験を通じて語っていただきました。(リンクはアマゾンのアフィリエイトリンクです)
読み終えた後、あなたの「自分なんて」が「私にもできる」に変わることを願っています。
ポッドキャストはこちらからお聞きください。
「本校始まって以来の恥」—使命感が揺れた瞬間
有薗さんの人生の出発点は、高校時代に鹿児島の知覧特攻記念館を訪れた体験でした。当時、青い髪でバンド活動をしていた”チャラチャラ少女”だった有薗さんは、特攻隊員の遺書に書かれた「七生報国」という言葉に衝撃を受けます。
「背骨にビビッと走った感覚があって。今の平和は当たり前じゃない、先人たちの犠牲の上に成り立っているんだと気づいた瞬間に、次は自分がその平和をつないでいく番だと決めていました」
17歳で防衛大学進学を決意。
しかし学校の先生からは「本校始まって以来の恥である」とまで言われました。進学校に通う生徒が自衛隊を選ぶことへの偏見が色濃かった時代のことです。それでも有薗さんは揺るがなかった。
「防衛大学以外は大学じゃないぐらいに思っていましたから(笑)。頭で考えたら他の選択肢のほうが妥当なんでしょうけど、そもそもそういう合理的な生き方が、その年齢から嫌だったんです。反骨精神だったんだと思います」
防衛大学に二浪しても受からなかった有薗さんは、叔母が暮らすイタリア・ミラノへ半年間の留学を決意します。眉間にしわを寄せてばかりいた自分に、少し違う空気を吸わせるための旅でした。
イタリアで得たコンパス「ちょんまげにリボンを巻く」

世界の美術品の5分の1が集まると言われるイタリアで、有薗さんは街中にあふれる芸術の空気に包まれます。ミケランジェロやダ・ヴィンチの作品が日常の景色の中に息づき、ファッションショーにも足を運んだ。
「愛する・歌う・食べる、この三大要素で生きているイタリア人を見て、眉間にしわを寄せてるだけじゃダメだなと思ったんです。これからの混沌とした時代を開くのは、硬派と軟派の両方を使い分けられる人間なんじゃないかというインスピレーションを受けて」
愛国心に燃え「ちょんまげ」を精神的に背負っていた有薗さんは、そこで一つの言葉を思いつきます。
「ちょんまげにリボンを巻く、という発想に変えようと。武士道の厳しさを持ちながら、そこに美しさや柔らかさを組み合わせる。これは今でも自分の人生のテーマになっています。相反するふたつのものを統合して生きていく、ということへのコンパスを、イタリアでもらった気がします」
帰国した有薗さんは革靴を履いておしゃれな雰囲気をまとい、自衛隊最下層のコースから入隊することを決意します。防衛大から幹部としてスタートするのではなく、あえて一番下から。その選択もまた、有薗さんらしい反骨精神でした。
20歳で陸上自衛隊に入隊。強い使命感を持って飛び込んだ組織で、しかし有薗さんを待ち受けていたのは「すごく孤独」という現実でした。
プライドだけ高い、何もできない20歳の自分
「頭でっかちで、口で言っている割に何もできなかった」と有薗さんは率直に振り返ります。
銃の分解結合に時間がかかり、アイロンがけで火傷し、階級章を縫い付けたら曲がっていてやり直しを命じられ、ベッドメイクも満足にできない。周りから「使えない」「何の役に立たんな」と言われ続けた日々。
剣道部出身で身長174cmの体力はあっても、不器用さが足を引っ張る。プライドだけは高いのに、成果が出ない。それが悔しくてたまらなかったと言います。
それでも有薗さんが続けられた理由を聞くと、こんな言葉が返ってきました。
「不器用ながらも真摯に取り組んでいたら、たまたま書いた作文が上司の目に留まって。車両整備の現場からいきなり司令部広報に抜擢されたんです。スパナよりペンのほうが充分に合ってた(笑)。出る杭は引き抜かれて、適所に植え替えられる。どんな時でもそれが起こった。必ずどこかで誰かが手を入れてくれた」
「誰かが見てくれている」という感覚——それが下積み時代の有薗さんを支え続けました。準備を手抜かない姿勢、すべてのことから学ぼうとするオーラ。対談の席でも、その姿勢は変わらず伝わってきました。
下積みの日々に向き合っている方へ、有薗さんはこんな言葉を贈ります。
「『自分なんて不器用だから』と一歩引いてしまいがちですよね。でも大事なのは、不器用ながらもやり続けること。いい加減にやっていたら、誰も見てくれないんです」
カオスの現場で放った一言が変えたもの

自衛隊キャリアの中で、有薗さんが最も印象的なエピソードとして語ってくれたのが、ある大規模災害時の対策本部での出来事です。
不眠不休でおむつを着用しながら対応に当たっていた有薗さん。その日は生理の初日でした。情報整理も追いつかないカオスの中、体調が悪化していく。そして定例会議の場でこう切り出しました。
「生理用品を、対策本部と避難所に置いてください——って、勇気を出して言ったんです」
室内がシーンと静まり返りました。その場にいた女性は有薗さん一人。周囲は全員男性でした。しかし少し経ってから、こんな声が上がりました。
「確かにそうだよね。全然気づかなかったわ」
その一言をきっかけに、対策本部のトイレには生理用品が設置され、避難所にも届けられ、授乳室やパーテーションによる男女分離も、発災直後のとても早い段階で実現しました。
「もし私があの場で黙っていたら、救われなかった女性がいたんです。自分の喫緊のニーズを後回しにしていたら、あと3日待っていたら、そうなっていた。自分の声やニーズは、回り回って誰かの問題を解決するんだと体で学んだ出来事でした」
そして有薗さんはこう続けます。
「男性たちは悪くないんです。自分ごとじゃないから気づかないだけ。車の真後ろに入ったものはバックミラーに映らないのと一緒で。だからこそ、いろんな立場の人がいろんな角度から声を出すことで、その死角が埋まっていく。それがダイバーシティの本質だと思っています。多様性って綺麗事じゃなくて、そういう話なんです」
米陸軍が教えてくれた「縁の下」の価値変換

有薗さんが著書を書く直接のきっかけになったのが、日本人女性初の米陸軍工兵学校留学での体験です。
工兵(こうへい)とは、道なき道を切り開き、橋をかけ、地雷原を処理して味方を前に通す職種。「縁の下の力持ち、泥臭くてちょっと臭い存在」として、日本の自衛隊では「犠牲になって前を通す職種」と位置づけられていました。お前たちは人柱になってでも前を生かすんだ、と。
ところがアメリカに行ってみると、まったく違う景色が広がっていました。
「米陸軍では、工兵を『全軍を導く戦闘職種』と定義していたんです。同じことをやっているのに、立ち位置がまったく違う。ちょっと乱暴な言い方をすると、ドMがドSに変換されていた(笑)。犠牲になって通すのではなく、自分たちがコミットするから導いているんだ——という価値変換が起きていたんですよね」
そして留学初日に出された課題が、有薗さんの価値観を根底から揺さぶります。
「命令を待つものは生きていない」「これからは細かい指示を出す上司の言うことは聞くな」——米陸軍のトップがそう言い切ったのです。
「自衛隊では命令が絶対、余計なことをするな、と叩き込まれてきたのに、アメリカでは真逆のことを言う。最初は混乱しましたが、考えてみれば当然で。現代の戦場では指揮官がドローンで狙われてどんどん亡くなっていく。命令を待っていたら組織が機能しない。
だから日頃から上司の意図を理解して、指示がなくても自分で考えて動けるようにしておかなければ、国民を守れないんです。そしてそれは軍事だけじゃなく、ビジネスも、自分の人生も同じだと気づきました」
縁の下の力持ちは、サポーターではなく、戦略的に貢献できるリーダーである——その価値変換こそが、著書のコアメッセージになっています。
指揮棒は、誰にも渡さない
有薗さんが著書で一貫して伝えるメッセージが、「自分の指揮棒を手放さないこと」です。
軍隊では指揮官が指揮棒(バトン)を持って命令を発します。しかし多くの人が、自分でも気づかないうちにその指揮棒を誰かに渡してしまっている、と有薗さんは言います。
「高卒だから、女性だから、工兵だから、子供がいるから——そういう理由で、自分の価値を低く見積もって、あなたたちどうぞ前に出てください、と言いたくなる。それは日本人の美徳でもあるけれど、やりすぎてはいけない。自分の役割を定義するのは、自分じゃないといけないんです」
「前と後ろで優劣はないんですよ。役割が違うだけ。バックヤードで支える人がいるから、前線の人が輝ける。後ろにいる人が『自分なんて』と言いがちな日本を変えたい。自分の役割を自分で定義し直すことで、いつからでも、どこからでも変わっていける」
底打ちしたとき、縁側でウイスキーを一人で飲んだ

対談を通じて最も胸に響いたのが、有薗さんが語った「底打ち」のエピソードです。
退職後、ご主人の余命宣告をきっかけに自衛隊を退き、和歌山の築135年の古民家を再生したリトリートサロンの準備を進める中、出版直後にお父様が脳卒中で倒れ、お母様が認知症に。ワンオペで家事・育児・介護が一気に重なり、講演の依頼もすべてキャンセルせざるを得なかった。
「これは自己犠牲じゃんって思った時期もあったんです。でも待って、私が書いた本ってセルフスターターじゃないか、と。制約がある中でも、自分で定義し直す。自分が書いていることと、やっていることが違うじゃないかと気づいて」
制約の中でできることを少しずつ積み重ね、リトリートサロンの準備も見直し、少しずつ再起動していった有薗さん。そして本のタイトルが決まった日、誰かに報告するのではなく、一人で縁側に出てウイスキーを注ぎ、静かに自分へ乾杯しました。
「よくやったな、と。自分で自分を見捨てなかった、と。その瞬間に、エゴじゃない自分というものがわかった気がしたんです。セルフスターターとは、自力を尽くした後に他力にすべて委ねる——それが本当の意味なんだと気づきました」
40代・50代へのメッセージ——指揮棒を握り続けること
最後に、当ポッドキャストのリスナーである40代・50代の方々に向けてメッセージをお願いすると、有薗さんはこう語ってくれました。
「40代・50代は、介護、育児、キャリアの転換点が重なって、自分の指揮権をどうしても他人に明け渡しがちになる時期です。でも、指揮棒はしっかり握っておいてほしい。そうすることで、必ず道は開けます。
何も起こらない時間に、誰かに指揮棒を渡したくなる。やって、と丸投げしたくなる。でも、何も起こらない時間にこそ、自分を見捨てずに指揮棒を握り続けることが大事なんです。諦めずに淡々と自分に向き合い、見捨てない。それができれば、道なら必ず開けます。何があっても大丈夫だと、今は確信しています」
「伝えること」が価値になる理由
今回の対談を通じて、一貫して見えてきたのは「声を出すこと」の力でした。
災害対策本部での一言が女性たちを救い、出版塾での悶々とした時期にコーチングを通じて言語化したキーワードが企画突破につながった。有薗さんの人生は「自分の声・ニーズ・視点は、回り回って誰かのためになる」という事実の連続でした。
「自分なんて」と声を飲み込む前に、少しだけ立ち止まってみてください。あなたの角度から見えているものは、誰かには見えていない。その声が、誰かの死角を埋めるかもしれません。
あなたには、あなたにしか見えない景色があります。その景色を言葉にすることが、あなたの価値になります。
有薗光代さんのご著書・お問い合わせ
有薗光代さんの著書『セルフスターター——自分で自分を動かすスキル、米陸軍工兵学校で学んだ仕事と人生で大切なこと』(日本実業出版社)は、書店またはオンラインでご購入いただけます。書店で見かけたら、ぜひお手に取ってみてください。(リンクはアマゾンのアフィリエイトリンクです。)
有薗さんへのお問い合わせ・講演依頼は、FacebookメッセンジャーまたはMon Retreat Salon(門リトリートサロン)公式ページよりお気軽にどうぞ。
このエピソードはCoach JOY Secret(コーチジョイシークレット)Bonus Episode #26として配信中です。SpotifyおよびApple Podcastsでお聴きいただけます。
人生の踊り場から、次のステージへ
今、自分がどういう中年の変化の中にいるのか?ミッドライフ成熟度チェックリストを作りました。
20代、30代と同じ価値観のまま、40代、50代を過ごそうとすると、脳と心は深刻な不調をきたします。
このワークを通じて、「今、自分の中で起きている構造改革」を客観的に理解してみましょう。
それは、あなたがこれまでの経験を「知恵」に変え、より大きな影響力を発揮する「成熟した大人」へと、サナギからきれいな蝶へと変容するための、最も大切なプロセスです。
このチェックリストは、あなたの本質に寄り添いながら、次のレベルへと進むためのコンパスです。ぜひご活用ください。
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