「長生きすると、天職に出会える」57歳で博士課程へ。迷う40・50代のための一歩の踏み出し方|ゲスト:佐藤典子さん

佐藤典子さん

「この先、どっちに進めばいいのだろう」「私の天職って何だろう」——そう自分に問いかけながら、立ち止まっている人は少なくないはずです。このままでいいのかなと思いながらも、次の一歩を踏み出せないまま、日々を重ねていないでしょうか。

佐藤典子さんは、50代で大学の教壇に立ち、57歳で博士課程に挑んだ人です。外資系金融の人事を経て独立し、エグゼクティブコーチに。現在は岡山の環太平洋大学で特任教授として、学生にコーチングを教えています。その道のりは、決して順風満帆だったわけではありません。50歳で受けた博士課程は不合格。涙を流し、一度はその夢を横に置いています。

そんな佐藤さんが、今も学び続けながら語ってくれたのは、「私じゃないとできない」という、ワクワクの基準でした。その秘密を詳しくお聞きしました。

この記事のポイント

  • ゲストは、岡山の環太平洋大学(IPU)特任教授で、エグゼクティブコーチの佐藤典子さん
  • 30代は外資系金融の人事として働き、40代で独立してコーチの資格を取得。54歳で大学の教壇に立ち、「これが天職だ」と気づいた
  • 50歳で受けた博士課程は不合格。それでも57歳で再挑戦し、6年かけて博士号(経営学)を取得した
  • 佐藤典子さんにとって、学び続けることは「自分をリニューアルすること」
  • 迷ったときの選び方は、「私じゃないとできない」とワクワクするほうを選ぶこと

ポッドキャストはこちらからお聞きください。

目次

一期生が卒業して、心に穴が開いた

── 今の仕事を「天職だ」と感じるのは、どんなときですか?

大学に関わり始めたのは54歳くらいからです。私にとっての一期生のゼミ生とは、3年生から毎週会っていました。2年間ですね。

その一期生が卒業したとき、すごく寂しくなってしまったんです。みんなあちこちに行っちゃったんだと思ったら、心に穴が開いたようになって。

そのときに、「あ、私この仕事に向いてるんじゃないか」と思いました。

やっぱり、可愛いんですよね、学生が。

ゼミでは、ちょうど習っていたシステムコーチングを実験的にどんどんさせてもらいました。体を動かして関係性を表すなんて初めてなので、学生はすごく喜んでくれましたね。

一番楽しかったのは、たぶん私だと思います。

佐藤典子さんが天職に気づいたのは、うまくいった瞬間ではなく、学生が巣立って「心に穴が開いた」瞬間でした。

自分はどこを目指しているんだろう、といつも探していた

── 30代は、どんな働き方をしていましたか?

31歳から41歳まで、外資系金融の人事部にいました。採用と研修が中心です。毎日のように面接をして、新卒の子たちをどう育てて、どこに配置するかを考えていました。それも楽しかったですよ。

先日、その頃に採用した子たちが、瀬戸内海のトライアスロンに出るというので会ったんです。30年ぶりの人もいました。みんな立派な50代になっているのに、「恩師です」と言ってくれて。当時の私は先生でもなんでもなく、ただの採用担当のお姉さんだったのに。

── その頃、どこを目指して働いていたのですか?

それは、いつも探していましたね。自分はどこを目指しているんだろうって。もっとスキルを身につけたいという気持ちはあって、よく遊んで、よく学んで、よく働いていました。

31歳から37、38歳くらいまでは、夜の8時、9時までがんがん働いていました。でも35、36歳くらいから、ふと「このままでいいのかな」と思うようになったんです。

38歳で第一子が生まれて、そこから働き方が少し変わりました。

バリバリ働いていた30代の佐藤典子さんにも、「このままでいいのかな」という迷いは訪れていました。

主婦になるつもりで渡ったアメリカで

── 40代は、どんな時期でしたか?

41歳から45歳まで、アメリカにいました。本当は主婦になろうと思って行ったんですけど、なれなかったんです。やっぱりダメだと思って、元のチームのメンバーに「退屈だから、何か仕事ない?」と連絡しました。それで年に4回くらい日本に戻って仕事をする、という暮らしになりました。

コーチングの資格を取ったのも、この頃です。人事時代に幕張のコーチングの大会に行ってみたのが出会いで、アメリカからも資格を取りたくて、シアトルから東京のCTIまで通いました。

── コーチングを学び始めて、戸惑ったことはありましたか?

私はしゃべるほうが得意なので、聞かなきゃいけないのは、かなりのセルフコントロールでした。親戚のおばさんみたいに「こうしたらいいのに」と言いたくなるんです。それをぐっと横に置かなきゃいけない。

45歳で日本に帰ってきてからは、独立して、企業のリーダーシップ研修やコーチングの仕事をしていました。一人対企業なので、プレッシャーもありました。子どもも小さかったですし、一人で育てていたので、今振り返ると、どうやってやっていたんだろうと思います。やっぱり仕事中心だったと思います。申し訳ないけど。

佐藤典子さんにとってのコーチングは、話すのが得意な自分が「聞く」ことを学び直す場所でした。

「このままで死んでいいのかな」

── 50代で大学院に行かれたのは、どんなきっかけでしたか?

実は50歳のとき、ある国立大学の社会人の博士課程を受けたんです。半年くらい死ぬ気で勉強しました。でも面接がボロボロで。「これだけ活躍しているのに、なんで今さらこんな面倒なことをしたいんだ」という雰囲気でした。

不合格の通知が来たときは、涙が出ましたね。それで、もういいかと思って忘れていました。

ところが57歳になって、また湧いてきたんです。

このままで死んでいいのかな、って。

やり残したこと、英語でいうバケットリストに、これがやっぱりあったなと。ちょうどその頃、ブレネー・ブラウンの「Vulnerability(心の脆弱性)」の勉強会に参加していて、そこで仲良くなった方が一橋大学の先生でした。「大学でコーチングを教えている」と話したら、「一橋を受けてみたら?」と言ってくださって。

57歳で受けて、秋入学だったので、入学したときは58歳でした。面接には女性も外国人もいて、全部英語。最初に落ちた面接とは、まったく違う場でした。

一度は横に置いた夢を、佐藤典子さんは7年後にもう一度取りに行きました。

6年間で身についたのは、根性

── その6年間で、何が一番の学びになりましたか?

根性じゃないですか(笑)。

本当に何度もやめようと思いました。論文にはお作法があって、自分の意見を書くものじゃないんですよね。そんなことも知らずに入ったので、最初の1年は本当に辛かったです。美容院にも論文を持っていって、電車の中でも1分、2分でも読まないとついていけない世界でした。

大学院では、コーチングを理解してくれる人がとても少なかったんです。そんな中で指導教官の先生だけは、何度やめたいと言っても「大丈夫、なんとかなる。あなたのやっていることは意義があるんだから」と言い続けてくれました。

2023年の夏に修了しました。ちょうど娘が大学1年生で、親子で女子大生だった時期が半年ほどあったんです。8月の卒業式には、娘に来てもらいました。

58歳で始めた博士課程を最後まで支えたのは、意義を信じてくれる一人の存在でした。

学び続けると、自分がリニューアルできる

── 振り返ると、学び続けることには、どんな意味がありましたか?

大学で教え始めた頃、「先生のご専門は何ですか?」と聞かれるのが苦手でした。修士を取ったのは20代で、ずいぶん前でしたし、コーチングと言っても研究はしていない。劣等感に近いものがあったんです。

それに、卒業式で着るアカデミックガウンの帽子には線が入っていて、博士だと3本なんですよ。パイロットみたいに。私も3本入りたい、と思っていました。浅はかな原動力ですけど。

でもやっぱり一番は、学生が変わっていくのを見ることです。コーチングを学んだ学生が「就活で、聞くのが上手だと褒められた」「家族の話を聞くようになったら、家の中が平和になった」と言ってくれる。それが、すごいやりがいなんです。

学び続けると、自分がリニューアルできる感じがあります。キープアップして、更新していく感覚が好きなんですね。

子どもたちには「お母さんは一体いくつまで勉強したら気が済むんだ」と言われていますけど。

佐藤典子さんにとって、学び続けることは、自分を更新し続けることです。

楽しくない仕事は、なんでやるの?

── 楽しむコツは、ありますか?

考えたことがないんです。逆に聞いてみたいんですよ。楽しくない仕事は、なんでやるの?って。

20代の頃から「君の仕事の仕方を見ていると、遊んでいるのか仕事をしているのかわからない」と言われていました。今のキャリアセンターでも、私の役目は仲間を毎日褒めることだけ。私が楽しそうにしていると、みんなも楽しくしてくれるんです。

仕事を楽しむことは、佐藤典子さんにとって技術ではなく、出発点そのものです。

「私じゃないとできない」ことを選ぶ

── この先どう進もうか迷っている人に、どんなことを伝えたいですか?

バケットリストを書くのもいいんじゃないでしょうか。死ぬまでにやりたいことを、わーっと書いてみる。お金も時間も全部あるとしたら、何をやりたいかを自問自答するんです。答えは、おのずと出てくると思います。

私のリストには、少し前まで「博士」が入っていました。今は社外取締役、本を書くこと、また外国に住むこと、フラメンコ。博士課程を修了した翌日には、ご褒美にスペインの巡礼路を5日間歩きました。どんどん増えてしまいます。

── 人生をもっと楽しみたい人には、どんなアドバイスをしますか?

好きなことをやる、ということじゃないでしょうか。最近の私は、頼まれたときに「これは私がやらなきゃいけないことかな」と考えて、私だからこそできることを選ぶようにしています。

だいたい3年くらいやると飽きてくるんです。そうしたら、私より向いている後輩のコーチにお願いして、どんどん手放していきます。すると、また新しいことが来るんです。

── 「自分じゃないとできない」という感覚は、体の感覚としては、どんな感じですか?

ワクワクするんです。他の人にもできることだと、ワクワクしなくなる。「これは私じゃないとできない」「私がこうやったほうがいいんじゃない?」と思えるものは、ワクワクしますよね。

仕事だから、ワクワクしないものもあります。そういうときは、ご褒美をセットにするんです。研修のあとはおいしいものを食べに行く、とか。でも選べるなら、私だからこそ価値をつけられるものを選ぶ。

ただ、私は普段あまりアドバイスをしないんです。答えはその人の中にあるから。

迷ったときの佐藤典子さんの基準は、「私じゃないとできない」とワクワクするかどうかです。

お母さんの頭は、お花畑

自分の気持ちに、素直に従ってきた。そう伝えると、佐藤典子さんは笑ってこう言いました。

単純なんです。よく子どもたちに言われます。お母さんの頭はお花畑だから、って。

迷いながら、泣きながら、それでも心が動くほうへ。

50歳の不合格も、57歳の再挑戦も、その先に続く長いバケットリストも、ひとつの線でつながっています。

天職は、探して見つけるものではなく、学び続けているうちに出会うものなのかもしれません。

長生きすると、天職に出会える。

その言葉は、まだ迷っている私たちへの、いちばん明るい励ましです。


アカデミックコーチング学会

佐藤典子さんが理事を務めるアカデミック・コーチング学会(ACA)は、コーチングに関する学術的な研究を活性化し、教育現場にコーチングを広めることを目的に、2015年に発足した学会です。研究者とコーチの実践者をつなぐ場として、年次大会や定期的な研究会(オンライン開催の回もあり)を開き、学会誌「アカデミック・コーチング研究」を発行しています。研究者だけでなく現場で活動するコーチも多く参加していて、出身のコーチングスクールを問わず入会できます。

▶ アカデミック・コーチング学会 公式サイト

佐藤典子さんプロフィール

エグゼクティブコーチ/環太平洋大学 経営学部 特任教授・キャリアセンター長
大阪大学でスペイン語を学び、ワシントン大学で教育学修士を取得。20代は(財)国際教育振興会で、ハーバード・ビジネス・スクールの学生を対象にしたジャパン・スタディ・プログラムを企画・担当。30代は外資系金融の人事部長代理として、組織開発・研修・採用・ダイバーシティ推進を担い、相次ぐM&A後の企業文化づくりに尽力。40代で独立し、バイリンガルのプロコーチ・研修講師として、50社以上、延べ6,000名以上に研修とコーチングを提供。

グローバル企業の日本法人トップや経営幹部のエグゼクティブコーチを10年以上務める。50代で環太平洋大学に着任し、学生にコーチングを教えるかたわら、2023年に一橋大学大学院で博士(経営学)を取得。博士論文のテーマは「学部生がコーチングを学ぶことの効果と意味づけ」。エビデンスに基づくコーチングを提唱し、日本の教育にコーチングを広めることを人生のミッションとしている。一男一女の母。趣味はバレーボールとピックルボール。

資格等

  • 博士(経営学/DBA)一橋大学大学院 国際企業戦略研究科
  • 教育学修士(MA)ワシントン大学
  • 国際コーチング連盟(ICF)認定コーチ(PCC)
  • CTI認定プロフェッショナル・コーアクティブ・コーチ(CPCC)
  • CRR認定 組織と関係性のためのシステムコーチ(ORSCC)
  • PDI 360度プロファイラー認定
  • MBTI認定

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この記事を書いた人

何が人の可能性をひらくのかを科学と実践から探求。The Life Coach School 認定マスターコーチ(日本人唯一)。バイオ系の研究者を経て2021年からコーチとして、40代以降の女性を中心にコーチングを提供。感情と思考はどう働き、人はどう変わるのか。科学とコーチングの両面からお伝えします。

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