「頑張れば、いつか認めてもらえる」そう信じて、ひたすら走り続けてきました。でも、ある時ふと気づくのです。誰かのために着け続けてきた仮面が、いつの間にかとても重くなっていたことに。
パリ在住の作家・藤原淳さんは、フランスの名門パリ政治学院を経てルイヴィトン本社に入社し、17年間PR部門のトップとして活躍されました。「最もパリジェンヌな日本人」と称された彼女が、40代で会社を辞めて作家へと転身。その決断の裏には、海外で働く日本人女性が誰もが一度は直面する問いが隠されていました。
「本当の強みって、なんだろう?」
今回は、藤原淳さんのインタビューから、ブランドの本質・海外での働き方・そして40代から始まる「自分に戻る」旅について、じっくりお届けします。
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バレエという夢の終わり—そこからフランス語への情熱が始まりました
藤原淳さんの子ども時代は、バレエひと筋でした。
3歳からイギリスで育ち、帰国後は「バレリーナになること」だけが人生の目標。学校とバレエ以外は何もしていないというほど、舞台と練習に没頭していたといいます。
でも高校3年の終わりに、彼女は自分の才能の限界を悟り、きっぱりとバレエをやめました。
情熱をすべて注いできたものを失った時、人の心にはぽっかりと穴があきます。「次に何を目指せばいいのか」その問いに答えるように、なぜかフランス語への強烈な憧れが生まれてきたのです。
「フランス語が世界で一番美しい言語だと、今でも思うんです。入り口はフランスへの憧れではなく、フランス語そのものでした」
そこからはまるでバレエに打ち込んでいた頃のように、藤原淳さんはフランス語の習得に全力を注ぎます。ありとあらゆる教材とコースを使い果たし、行き詰まると「辞書を1ページずつ覚える」というマニアックな手法に辿り着きました。例文ごと暗記することで、語感が体に染み込んでいったといいます。
大学在学中にフランスへの交換留学を経験し、「ここに住むしかない」という確信を得た彼女は、卒業後も日本での就職という選択肢を自然と手放し、大学院進学を理由にパリへと渡りました。
情熱が移り変わることは、裏切りではありません。前の情熱が培った「全力で打ち込む力」が、次の扉を開けてくれるのです。
辞書を1ページずつ。「オタク的」勉強法でルイヴィトン本社へ
パリ政治学院(シアンスポ)は、フランスを代表するエリート養成校です。ジャーナリズムから政府高官、国際ビジネスまで、世界中から志の高い学生が集まります。
藤原淳さんがこの学校を選んだのは、自分の「一般教養の欠落」に気づいたからでした。フランス語の語学力は申し分ない。でもヨーロッパの知識人たちと渡り合うには、言語能力だけでは足りなかったのです。
フランスの大学システムには、在学中に「企業研修(スタージュ)」を必修として組み込む制度があります。日本の一斉就職活動とは異なり、インターンを通じて人脈を作り、そのまま就職へとつなげていくのがフランス流です。
その流れの中で縁ができたのが、LVMHグループ——ルイヴィトン、ディオール、セリーヌなどを擁するラグジュアリー業界の頂点に立つ複合企業でした。当時はコンサルやロレアルなどの大企業に就職することが「花形の出世コース」と見なされていた時代。そのインターンを経て、本社へと就職が決まりました。
ちょっと面白いのは、このとき藤原淳さん自身はルイヴィトンに特別な憧れを持っていなかったことです。むしろ、誰もが持っていたバブル期のロゴブームに対して「ダサい」とさえ感じていたといいます。入社後に何が変わっていったのか、次の章でお伝えします。
「ブランドってダサい」と思っていた私が知った、ルイヴィトンの本質

ルイヴィトンが「ブランドたる理由」とは何か。
17年間、PRとしてそれを世界に伝え続けてきた藤原淳さんに聞くと、答えは明快でした。
「ルーツに執着し続けること。そこに立ち返ること。それだけだと思います」
ルイヴィトンの起源はトランク職人です。
19世紀、蒸気船や鉄道という「乗り物の民主化」に合わせて、旅行者のニーズに応えるかたちでトランクを作り続けてきました。重要なのは「トランクを作って、お客様に合わせてもらう」のではなく、「お客様の荷物に合わせてトランクを作る」という姿勢だったということ。
女性が社会に出て一人で出歩けるようになると、トランクはボストンバッグになり、ハンドバッグになりました。さらに靴、プレタポルテのファッション、時計、アクセサリー、香水へと展開していきます。
一見バラバラに見えるその歩みも、「お客様のライフスタイルに寄り添う」というルーツに忠実な自然な流れだったのです。
藤原淳さん自身、入社前はロゴブランドを「持たないでしょ」と毛嫌いしていました。でもものづくりの現場(アトリエ)を自分の目で見て、歴史的なトランクの展示会に触れ、ブランドのコアバリューを知るうちに、感動へと変わっていきました。
「1回見ると、100回説明するよりも感動するんですよ」
企業広報とは、その「感動」を言葉にして伝える仕事。知らない人を、知って感動する人へと変えていく仕事でした。
ブランドも、人も同じかもしれません。自分のルーツを大切にしながら、時代に合わせて柔軟に変化できる者だけが、長く愛され続けるのです。
氷のような視線——フランスの職場で「言ったもん勝ち」文化に直面して

憧れのパリ、夢のルイヴィトン本社。でも入社初日から、現実はシビアでした。
フランスは中途採用が当たり前の社会です。研修もブリーフィングも、温かい歓迎もありません。突然入ってきた中途社員は「自分の出世を阻む可能性があるライバル」として、最初から冷たい目で見られます。愛想笑いも気遣いもゼロ。氷のような視線の中で、即戦力として動かなければなりませんでした。
「右も左もわからないのに、誰も教えてくれない。聞けば答えてくれるんですけど、聞かないと誰も何も言ってくれないんです」
さらに難しかったのが、社内での「自己アピール文化」です。
日本では成果を出せばいつか認めてもらえると信じていても、フランスでは「言わなければ存在しないのと同じ」。自分のプロジェクトの成果を声高に、堂々とアピールしなければ、評価はされません。
「私、大したことしてません」「おかげさまで」という日本的な謙遜は、ここでは完全に逆効果でした。自分の手柄を目の前で平気で持っていかれる経験も、何度もあったといいます。
でもある時、藤原淳さんは発想を転換しました。
「ゲームだと思って割り切ったら、苦しいのが楽しくなってきたんです」
「これは自分の本質ではなく、このフィールドのルール」と捉えた時に、苦手なことを戦略的にこなせるようになりました。性に合わないことも、ゲームのルールとして理解すると、パフォーマンスに変えられる——それは海外で働く上での、大切な知恵かもしれません。
「意欲が落ちたよね」産休復帰後に言われた一言。女性として声を上げるということ

女性活躍が進んでいると言われるフランスでも、トップ幹部レベルになると白人男性が多数を占める現実があります。藤原淳さんはそれを肌で感じながら、ひとつの忘れられない経験をされました。
産休から復帰した後、当時の上司(男性)からこう言われたのです。「産休から帰ってきてから、意欲とか落ちたよね」と。
最初は「そんなことありません」と否定して頑張ろうとしました。
でも、どうしても納得できなかった。子どもを持ちながら仕事を続けている女性なら誰もが当然感じることを「おかしい」と言われるのは、社会の側がおかしいのではないか。そう気づいた時、彼女は相手に向かってこう言いました。
「子どもがいるといないじゃ、仕事の時間配分もエネルギーも変わります。それは当然のことだと思います」
その一言で何かが劇的に変わったわけではありません。
でも藤原淳さんはこう言います—社会を変えるのは、そういう一つひとつの声を上げていく積み重ねしかないと。男性が中心の席に座っている人たちの意識を変えられるのは、女性だけだと。
女性であることを悪びれる必要はありません。女性として働くことに伴う現実を、堂々と言葉にしていいのです。それはわがままではなく、当たり前のことを当たり前として伝える行為です。
「パリジェンヌ」より「日本人」。40代で気づいた本当の強み

「最もパリジェンヌな日本人」その称号を得たのは、マネージャーに昇進した2007年頃のことでした。当時はそれが嬉しかった。フランスに認められたような気がしたといいます。
でも出世を重ね、PRディレクターとなり、さらに上を目指す中で、藤原淳さんはある壁にぶつかります。
「フランス人のようにがむしゃらにやってきたけれど、どう転んでも私はフランス人じゃない。そこから上に抜けたいと思った時、結局自分は自分だっていうことに気づいたんです」
上を見て、追いかけて、無理して——そのうちに「本当はそういう人間じゃないのに」という違和感がじわじわと積み重なっていきました。その時に見えてきたのが、日本人としての自分の中にある強みでした。
細やかさ、気遣い、思いやり、謙遜の心。フランスの職場では「自己アピールが足りない」と映るその感性こそが、実は誰にもない独自の価値だったのです。
40代は、仕事も子育ても「一段落」して、初めて少し余裕が生まれる時期。だからこそ、「なんでここにいるんだろう」「本当に何がやりたかったんだろう」という問いが浮かび上がってきます。藤原淳さんにとってそれは、遠い記憶の底に眠っていた「フランス語でものを書きたい」という夢でした。
「何かやりたいことをやるなら、今しかないと思った。そのままいれば、あと20年ルイヴィトンに勤めていたと思います」
「安定していたのに」「もったいない」——そう言われることもあるでしょう。でも彼女は、安定した場所にいることと、自分らしく生きることの間で、後者を選びました。それは40代という時間が与えてくれた、成熟の選択だったのかもしれません。
仮面を脱いで、自分に戻る——忙しい女性ほど必要な”ひとりの時間”
インタビューの最後に、藤原淳さんが今もっとも大切にしていることを聞きました。その答えは、シンプルなものでした。
「自分とゆっくり向き合う時間を作ること。毎日、数分でいい。子どものためでも、配偶者のためでも、インスタのためでもなく、自分だけのための時間です」
日本人女性は、優秀で器用で我慢強い。お母さんとして、部下として、上司として、妻として——いくつもの仮面を同時にこなせてしまいます。だからこそ、気づかないうちにそれが重くなっていきます。歪みが来るのは、いつも自分自身なのです。
ルイヴィトンの17年間、忙しすぎてそんな時間は一切なかったと藤原淳さんは言います。退職して執筆活動を始めてから初めて、自分と向き合う時間ができました。そしてその時間が、自分の本質を見つめ直す土台になったのです。
「答えはすべて自分の中にある。でも忙しいと、自分じゃ見えないんですよ」
いつから始めても、遅くありません。誰かのためではなく、ただ自分のための時間を、今日から少しだけ作ってみる。それが「自分に戻る」旅の、最初の一歩になるのかもしれません。
まとめ—「なりたい誰か」ではなく、「本当の自分」へ
藤原淳さんのお話から見えてきたのは、華やかなキャリアの裏にある、一人の女性の静かな問いでした。
- 情熱は変わっていい。そのたびに全力で向き合えることが、強さになります
- ブランドも人も、ルーツを忘れずに時代と共に変化できる者が長く輝きます
- 自己アピールは「ゲームのルール」として学べます。でも、それが自分の本質ではありません
- 女性であることを悪びれず、声を上げていくことが社会を変えます
- 40代は「本当の自分」に気づく、最高のタイミングです
- 自分のための時間こそが、人生の質を決めます
「パリジェンヌ」と呼ばれた日本人女性が最終的に辿り着いたのは、パリでも、ルイヴィトンでもなく——日本人である自分自身の中にある豊かさでした。
あなたの中にも、きっとそれはあります。気づいていないだけで。
藤原淳さんの著書のご紹介
今回インタビューにご登場いただいた藤原淳さんの著書が、ダイヤモンド社より発売中です。
『パリジェンヌはすっぴんがお好き』(ダイヤモンド社)
著者:藤原 淳
「すっぴん=ありのままの自分」をさらけ出し、人生のいろいろがあっても肩で風を切って生きるパリジェンヌの生き方・仕事術・恋愛観を、ルイヴィトン本社でPRトップを務めた著者が実例とともに紹介しています。
ファッション、美容、仕事、恋愛——あらゆる場面で「自分らしさを貫く」ための知恵が詰まった一冊です。「私らしい生き方ってなんだろう」と感じている40・50代の方に、ぜひ手に取っていただきたい本です。
このエピソードはポッドキャスト「Coach JOY」のボーナスエピソードとして配信されています。音声でも、ぜひ聴いてみてください。
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